モータの不思議と更なる可能性の探究
第十回 リニア新幹線:世界最大最速のモータの課題
第1回に,「新しいモータの発見があるときその国の産業と科学は発展していました」と書きました。いま日本で開発が進められているのが世界一巨大なモータで、東京と大阪を結ぶ中央リニア新幹線です。これが最終回のテーマです。
◇ 中央リニア ― 世界最大最速のモータ
図1に示すように、中央リニアは磁気浮上という原理によって車体全体がレールから浮き上がり、側壁に形成されている巻線に流れる電流と車体の中で発生する超電導磁石によって疾走する仕組みです。ここには歯車もなく基本構成は単純です。
現在のモータを使う列車との大きな違いは地上に対して推力を得るために車輪を使わないことです。つまり機械的なクーロン摩擦による力を使いません。電磁力をそのまま使う運送システムです。前回ではクローン(マルチコプター)用小型モータについて語ったのですが、それは物の搬送の原理としてプロペラを道具とし、流体力学の原理を使うものでした。
◇ アインシュタインの相対性理論を想起する
第3回では、アインシュタインが、運動物体の電気力学という論文で大きな魚を釣りあげてしまったことを書きました。リニアモータをテーマとするこの機会に、アインシュタインの電気力学の本質の一端を感じていただくために少し補足しましょう。アインシュタインの論文にはほとんど図がないために、相対運動に関する図があるのは物理学のテキストや啓蒙書です。中央リニアをモデルにしてこれを描くと図2のようになります。ここで、一つの慣性系Kと、一定の速度 v で運動するもう一つの慣性系K’のあいだで、位置 x と時間tの関係がLorentz変換によって次式で与えられるというのがアインシュタインの相対性理論です。
ここで c は光の速さで秒速30万㎞です。
ほとんどの啓蒙書では上の式の意味を解説しようとして、時計の進み遅れを書いていますが、これだけでは電気力学とは言えません。アインシュタインがもう一つ主張したのが磁界と電界に関する法則であり、それは次式です。
・磁界Bは時間 t に対応し,
・電界Eは位置 x に対応する。
・電磁界と時空は不可分の関係にある。
◇ 電気力学の起源に遡る
これはまさにモータの原理ですが、洞察を深めると、磁界 H と電流 I のあいだのstatic(静的)な関係を示唆するものです。これを数学的に表現したのがフランスのアンペールです。Staticとは時間 t には関係しないという意味です。では、モータとして電線あるいは磁針が動くと何がおきるのでしょうか?その現象を1831年にロンドンで発表したのがファラディ(1791-1867)です。それは電磁誘導の法則と呼ばれるもので、図4 で説明していますが、電磁石は空間的に静止していて、磁界が時間的に変化すると電気が起きるというものです。
ファラディの銅像(John Henry Foley作大理石像のコピー)。
手にもつのが電磁誘導の実験を公開したときに見せた鉄環と
それに巻いた巻線(コイル)
この現象に関する考察を進めると、磁界の中を針金が通ると電圧(電気)が発生することが説明できるのです。つまり発電の原理です。ここでは磁界を通過するときの速度 v というものが重要なことがわかります。この年、スコットランドにマクスウェル(1831 -1879)が誕生しました。
さてエルステッドの実験とファラディの実験は独立した現象なのだろうかという問いが発生します。実は表裏一体の関係にあって、それを説明するのが図5のフレミングの左手と右手の法則です。これはモータ(電動機)が発電機にもなるし発電機は電動機にもなるとことを示唆します。発電機とモータの関係がここで述べているような論理で発見されたのでしょうか? そうではなく、1837のウイーン万博で展示されていた2台の発電機のうちの一方が、技師者の結線ミスで動き出したことがきっかけでした。
電流の関係がF=BLIとなり、右手の場合誘起電圧と速度の
関係が E=BLvとなる。どちらの比例係数も共通のBLである。
つまりモータと発電機は一つの物理現象であると解釈できる。
(Bは磁束密度,Lは導体の長さ)
アンペールの理論やファラディの発見を数学的に洞察して電磁波の存在を示唆し、光は電磁波の一種であると明言したのがマクスウェルです。1864年のことです。
1879年3月にドイツにアインシュタインが誕生し、11月にマクスウェルが没しました。1887年にアメリカの観測チームよって光速 c が観測者の速度によらずに一定であることがわかりました。アインシュタインはマクスウェル方程式を深く考察して、光速不変をユークリッド幾何学の平行線公理のような大前提として発表したのが先に挙げた電気力学の論文です。筆者の考えでは、第4回に書いたポインティングの定理とアインシュタインの相対性理論によって、モータと発電機の関係が明快に記述できると思います。その意味で、現代の電気力学はアインシュタインによって理論的な枠組みができあがった所産といえます。
中央リニアは鉄道としては世界一高速とはいうものの、光速に対する比率(v/c)は100万分の1以下ですから「相対性理論」をもちこまなくてもよさそうです。ただひとつ付言したいのは、モータというのは宇宙の多次元時空の仕組みだとういうことをアインシュタインが示唆していることです。その仕組みを世界一の技術で大規模に具現しようというのが中央リニアだといえます。
球では表されないので、さまざまな表現法が試みられている。
◇超電導について
リニアモータでは磁界Bの主成分は超電導磁石で発生し、電界Eは側壁に配置されている巻線に沿って形成されると考えてよいと思います。ここで不思議なのが超電導現象です。普通は電圧とは電流を発生させようとする作用だと説明でき、針金や電線では電圧Vと電流Iの間にはオームの法則が成り立つといわれています。それはV=RIと書かれる最も簡単な方程式で、Rのことを電気抵抗と呼びます。電気抵抗の原因は金属を構成する原子熱運動と考えられます。そこで、温度を低くして絶対零度にするとこの種の動きがなくなり=0になるはずというのが古典的な考えでした。実際にはそうではなく、ある温度以下にまると突然に電気抵抗がゼロになることが発見されたのが1911年です。これが超電導ですが、この現象を説明した一人が今回の人物伝にとりあげたジョン・バーディーンです。
これを簡単に説明すると次のようになります。海中を遊泳する小魚の大群は互いに衝突しません。金属中の電子が原子核に衝突することなくスルリスルリと大群で動けばよいわけですが、これができるためには電子同士のあいだの仕掛けが必要で、それを説明したのがBCS理論です。専門用語を使うと「個々の電子が自由行動する大群になったときはフェルミ統計に従うが、2個の電子が極低温のもとでは結晶格子を介してクーパー対を形成するとボーズ・アインシュタイン統計にしたがう。そのために電子が秩序正しく流れる。」というふうに記されることがあります。第8回に書いたシュレディンガーやブリルアンの波動力学から発展した統計力学で電子の状態や動きと電流の関係を語るときにフェルミ(イタリア生まれの物理学者)とボーズ(インド生まれの物理学者)の名前が出てきます。第7-8回で半導体のことを書きましたが、半導体の中での電子現象はフェルミ統計によるものです。ちなみに超電導物理学にボーズとともにアインシュタインの名前が出てきますが、その理論は相対性理論を前提とするものではありません。
中央リニアの実験線では、超電導材料としてニオブチタン合金(NbTi)を使用し、液体ヘリウムでマイナス269℃に冷却することにより超電導状態を作り出しています。つまり、巨大な磁石を永久磁石に代わって造り、車両の走行と浮上のための巨大な磁界を発生させるのです。しかし側壁に使う巻線は通常の銅を常温で使うために大きな銅損が発生します。そのためのエネルギーコストの低減などが課題として残りそうです。
◎最後のことば:
2016年11月6日の読売新聞の第1面「地球を読む」に(JR東海名誉会長の)葛西敬之氏が中央リニアの経済的な意味を論じています。東京‐大阪間の片道を1日あたり10万人運ぶ輸送力をもつそうです。
思い返すと1964年には現在の新幹線が東京・大阪間で走り始めて前回の東京オリピックが10月に開かれました。次の東京オリンピックが2020年に開催され、その7年後の2027年に巨大なモータが東京と名古屋間で完成して40分で人々を輸送します。All for dreams の夢が実現するリニア新幹線です。
今の日本のモータ科学を第1ステージとすると、第2ステージはそのころかもしれません。宇宙の起源や物質の成り立ちを解明する最先端物理学では宇宙空間が10次元あるいはそれ以上の多次元であると捉えています。アインシュタインの電気力学も、電界Eも磁界Bも3次元のベクトルであり、空間もx,y,zの3次元で、これに時間tを入れると10次元で論じる物理学です。いま私たちが知っていて利用しているモータの原理は宇宙に秘められた可能性のごく一部に過ぎないのです。
中央リニアが運用されるころにはモータを構成する基本要素の材料研究に画期的な進歩がおきて、超電導が常温でも実現できるようになるかもれません。それには基礎科学を学んだ傑出して優秀な若者の出現が待たれます。そして第3回にも書いているように,相対性理論の帰結であるE=mc2の真理を安全なやり方で地球温暖化をすることなく、モータとして具現できる未来の到来を期待します。これは温室効果ガス排出量を実質的にゼロにしていく方向を目指した2020年以降の温暖化対策の国際枠組み『パリ協定』に沿うものでもあると思います。
モータの不思議と更なる可能性の探究 完
(John Bardeen, 1908-1991)
1908年、ウィスコンシン州マディソンで、解剖学の教授の父と教育者の母のあいだに生まれた。第2回に書いたように、BardeenとTeareはウィスコンシン大学では同期生だった。物理専攻のTeareが実用数学の才能を学生時代に開花していた一方で、電気工学専攻のBardeenは問題への切り込み方に鋭い才能を開花していた。第2次大戦中の海軍兵器研究所に4年勤務したのち、1945年にベル研究所に入って半導体の研究を開始した。
第2次世界大戦中、米軍の爆撃機に電波で妨害を与えるための真空管の研究をしていた佐々木正は、戦後の1947年にGHQの命令によって渡米してバーディーンと親しくなった。そのとき、固体を使った増幅器のことを聞いた。それがトランジスタである。バーディーンが日本の科学者や技術者との交友を築くようになったのはこのときからである。
第8回のショックレーの伝記で書いたように1948年にブラッテンとともに3人でトランジスタを発明した。しかし、プライオリティ論争がおきて嫌気がさしたバーディーンは1951年にショックレーから離れてイリノイ大学の教授になり、本格的に超電導の研究を始めた。1956年にトランジスタの発明でノーベル物理学賞をとったときに、スウェーデン女王に「今回は家族が多忙で一人できたが、次のときは連れてくると」約束した。
1953年に国際理論物理学会東京・京都に参加して、東京大学の中島貞雄のフォノン理論に着目した。その後、Leon Cooperと学生のJohn Schrieferと3人の頭文字をとったBCS理論として知られる超電導現象を説明する説をまとめた。これで超電導現象のすべてが解明されたわけではない。しかし、この理論によって彼が1972ノーベル物理学賞を得たときには, ひ孫も含めた大家族が授賞式に参列した。