永守重信が日本電産株式会社を設立
(京都市西京区 資本金2,000万円)
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1章 1973-1977
7月
永守重信が日本電産株式会社を設立
(京都市西京区 資本金2,000万円)
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8月
桂工場を新設、精密小型ACモータの製造・販売を開始
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7月
カセットデュプリケータ用ACモータを米国スリーエム社より受注
8月
投資育成会社 京都エンタープライズデベロップメントより
投資を得、資本金を3,000万円に増資
10月
米国に販売代理店開設
11月
本社事務所を移転(京都市中京区大宮)
1月
アジア、欧州各国に販売代理店を拡大
2月
京都府亀岡市に亀岡工場を新設
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4月
魚群探知機用ブラシレスDCモータの本格生産開始
東京出張所を開設(東京都杉並区天沼)
4月
米国ミネソタ州セントポール市に米国日本電産株式会社を設立
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7月
ジャイロ・コンパス用ブラシレスDCモータ(小型航空機用)の生産開始
10月
セールスレップを全米36カ所に設置
1973年(昭和48)7月
1973年(昭和48)7月23日、永守重信は、精密小型ACモータの製造・販売を行う「日本電産株式会社」(資本金2,000万円)を設立した。
1973年(昭和48)8月
会社設立から1カ月後の1973年(昭和48)8月、当社は京都市右京区(現・西京区)桂上野の桂川のほとりにある2階建て民家の1階部分を借りて「日本電産株式会社」の看板を掲げ、桂工揚とした。第1次石油危機が発生、日本経済が高度成長から低成長へと移行する節目の時代だった。経営環境は厳しかったが、全員が営業マンかつ技術スタッフとなり、手づくりの会社経歴書を持参し、「どんなモータでも試作します」とサンプルの製作を受注した。引き合いがあると、たとえそれが少量で技術的に難しい要求であっても「わかりました、すぐつくります」と即座に答えた。
この頃の「絶対にNOといわないこと」「可能なかぎり納期を短縮すること」「得意先を頻繁に訪問すること」などの営業姿勢は、現在も受け継がれている。
1975年(昭和50)2月
設立後1年ほどして注文が入り始めたものの、国内での営業活動は思うように進まなかった。状況を打開するため、永守は単身渡米し、得意先を開拓した。
徹夜してつくった試作品が評価され、3M社からACモータの注文が入ったのは1974年(昭和49)のことだった。当初1,000個、1年後には10倍にするという。桂工場ではとても対応できない。新工場の建設が急務となり、永守は建設資金を調達するために奔走したが、応じてくれる銀行は皆無だった。そんななか手を差し伸べてくれたのが、立石電機株式会社(現・オムロン株式会社)創業者・立石一真氏だった。同じような苦労をしてきた同氏の後押しもあり、わが国初のベンチャーキャピタルから融資を受けることができた。
こうして1975年2月、京都府亀岡市宮前町に桂工場の6倍の建築面積を持つ亀岡工場が竣工。3M社の要求に応えることができた。
1976年(昭和51)4月
1976年(昭和51)4月、当社はミネソタ州セントポール市に現地法人・米国日本電産株式会社(NIDEC AMERICA CORPORATION)を設立した。当時、新たに開発した磁気テープ複写装置用精密小型ACモータの輸出が増大しており、北米・南米地域における販売と技術サービス、および全米各地に点在するセールスレップとの連携を強化することが必要だったためである。
米国日本電産の設立により、在庫確保による直納体制の整備が可能となった。そのため、一括輸出による納期の大幅短縮とコストダウンが実現し、それまで大手に偏っていた顧客層を中堅層にまで広げることができた。また、セールスレップを20カ所近くまで増やすなど、アメリカでの販売網の拡大・強化につながった。早くから海外市場をターゲットにした当社にとって、アメリカでの現地法人設立は大きな転機となった。